知恵と知識と教育と

知識は情報、知恵は知識に経験を加え身体化された情報、というぐらいの意味で使います。それにしても、知恵の情報量は知識のそれの何倍になるのやら。

たとえるなら、知識とはある料理の作り方を書いたレシピを通じて得た印象。知恵はその料理を作って食べたことのある人の持つ(その料理に対する)印象。

さて、昨日卒業生との会話で、高等教育のあり方について言及した。

その時から考えているんだけど、知恵とは教えてしまうと知識になっちゃうんだよね。少なくとも、受け取る側の態度次第ではそうなってしまう。

統計の講義なんかを、わかりやすくやろうとして要約して伝えると、それでわかったような気になられてしまう。

苦労したらこういう知恵が得られます、と口にすると、それを情報として取り入れられてしまう。最悪、その情報を保存しないかも。検索すれば出てくるから。

だから、大事なことは教えてはいけない、という考えもあろう。
でも、ただ作業をさせるというのも、あるいは既定の知識を伝達するだけというのも、やってる方としてはつまらないんだよなぁ。

誰のための、何のための教育なんだろうな。

ま、ひとまずはレシピをみて、作ってみたい!と思わせないとダメってことかな。

若いうちの苦労を買ってみよう、とみんな思ってくれないかなぁ。