理系人間が心地よい:『すべてがFになる』を読んで

すべてがFになる (講談社ノベルス)

これはミステリ。Twitterで誰かがつぶやいていて,ある日読んでみるかと思い立った。で,本屋に行くとシリーズになっている。えー,シリーズものか,長いのは面倒だなぁと思ったが,既に五冊目を買ってしまうアタリ,十分はまってしまったのか。

理系ミステリ,という言われ方をしているようだけど,本質は違う。確かに主人公が使うのはUNIXで「ログイン」したり,メールに「リプライ(返信)する」,という表現があるけど,これは90年代前半という時代背景からくる専門っぽさで,いまじゃあMacOSLinuxベースだったりするわけで,ログイン,メール,リプライは日常用語でしょう。つまり出てくる機械が理系的・専門的なわけじゃない。

じゃあなにか,というと登場人物が理系人間なのです。萌絵という助手キャラは,計算がアホほど速いという意味では理系的かも知れないけど,何より主人公の犀川が,共感性が低いながらも必死で社会的に適応しようとしている,というあたりが良い。主人公の中にはいくつもの自我があって,それがせめぎ合ってなんとか社会性を保っている,というのもおかしな設定ではなくて,そういう人もいる,いやさ人ってそういうモンだよね,と思わせるところが一番面白いのです。

日本人は子どもの頃,遊び仲間に加わるときに「混ぜてmix」というが,欧米ではjoinだ。つまり,個が全体にとけ込んで同一化するのが日本的,そうでないのが欧米的,という人間観もよくわかる話です。

残念ながら,シリーズ化することで毎回事件に巻き込まれてしまうといううさんくささ(探偵でもないのに,一民間人が毎年殺人事件に関与するのは異常)はあるけど,まぁそこは我慢してつきあってみるか,と思っています。単体で読むのなら,第一作のこの「すべてがFになる」が一番オススメ。