感動しなければ人にあらず!感動すら自覚的にしなければならない時代

いつもこの時期になると同じようなエントリーを書いてありますがね。
昨日からやっておりますな、24+α時間テレビ。

今回はフジ系も駅伝(マラソン)を導入。トレーナーをつけて準備させて、タレントを走らせている。

走ると、感動するそうだ。全く意味が分からない。

しかも、体を傷めつけながらも前に進む姿が感動を呼ぶのか、と思ったが、どうもそうではないらしい。
走った本人が感動するそうだ!それを見て、紳助を始めとする周囲の人間が感動する、というシステムらしい。

駅伝なので、タスキを順に渡していくのだが、タスキを渡して疲労困ぱいで倒れこんだタレントに、紳助は聞く。
「どや、感動したやろ」、と。
タレントは答える。「感動しました」と。

感動する、というのは自動詞だと思っていたのだが、もはやここまで来たら「感動」という言葉の意味がわからなくなってくる。
追い打ちをかけるようにそこにいるアナウンサーが「走り終わった◯◯さんに、お手紙が届いております」といって、なにやら涙を誘おうとする。
さぁ、もう一回感動せよ、というわけだ。
こうなってくると、感動しなければ人にあらず!と言われているような気がするねw

マラソンがすべて悪いと言っているわけではない。
アスリートとしてのマラソンランナーはいいのだ。なぜなら、それは人間の限界を超えるため、記録を超えるためのものであるから。自己満足のためにやっているわけではないし、誰かにやれと言われてやっているわけではないのだ。

ええとしこいた大人が、業務命令で走れと言われたから走る。業界の先輩命令で感動する。それを見て、私はどんどん白けていく。

逆に怖いことだなと思うのは、徐々に自動詞的な心の働き、自然と心が◯◯する、ということが許されなくなっているのかもしれない。
すべて明示的に、自覚的に、手続き的に心の働きを明確にしなさい、という時代が来ているのか。

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