買わないと決めた日

一ヶ月以上前になりますか、近くにいい物件ができて、買おうかどうしようか悩んでおりました。
市内の一等地におけるマンションで、地理的条件はいいし、間取りや内装も気に入った、値段は・・・周りのそれに比べれば安い方なんでしょうな。
ともかくまぁ個人的にはアリかなぁと思えたもので。

ただ、先頃第三子が生まれることが判明したし、そうすると車を大きいのにせないかん、という新たな悩みが成立。
職場のほうでも改修に伴う移転でバタバタしていると。ウィークデーも日々なんらかの決断決断で、どうも回ってないなぁ、という実感の日々。

そんな中、マンション屋は毎日電話をしてくるわけです。当然自宅の方にかかるのだけど、平日食事時とか手が離せない時にかかることが多く、留守電にたまりがち。週末になると決まって午前中に電話してくるのだが、私は週末に午前中を認めないので(前日深酒するので睡眠時間)、電話で起こされ留守電がたまる。困ったもんだと。とにかく再三、どこまで話しあってもらえているか、どこまで相談が進んでいるかということを尋ねてくる。

流石に「先延ばし」にもできなくなってきたので、夫婦で熟議し、まぁ今回は縁がなかったということで、という結論になった。

で、夜になって断りの電話を入れたのだが、まぁ営業さんの引き止めのすごいこと。
いや、これはいいことなのです。「はいそうでっか、客はどこにでもおりまっせ」でもいいんだろうけど、やはり仕事として引き止め作業をせないかんだろうよ。だから、後半なかば人格攻撃的で多少カチンとくる表現があっても、耐えたのです。こんな事で感情を顕にしてはいけないと思うし、「なんで断るのかお考えを伺いましょう」といわれても、プライベートでは非論理的でいたいこともあるのだ。
言葉につまるようじゃ交渉は決裂ね、ということで無理矢理電話を切りました。恋人をふるときの気持ちってこんなのかな。後味悪くて、でも結論を伝えないといけない感じ。

とてもいい物件で、いい営業マンだったと思う。でも、私の結論の出し方を否定されても困るのです。
「今決断できないと、いつするのですか。どうせこの先ずっと決断できないですよ」
というけれど、その批判は実はあたってない。俺は決断できないのではなくて、即決すぎるのです。見たものがイイ!と思うとすぐ買う方向で決断します。ただ、われながらその決断スピードがあまりにも早いので(不動産屋に4件見せてもらったら、1,2,3,4の順で住みたくなる)、自分の判断がまともなものだとは思えない。ということで、周囲の意見だけを頼りにする。今回も、妻が少し難色を示したのでじゃあダメだと。別に自分の決断に難の思い入れもない(むしろ常に間違っていると仮定)からね。そこを非難されてもなぁ*1

断ったことで、なにやらもったいない感もあるし、営業さんとの仲?が感じ悪くなったので気分も悪い。でもまぁこれで綺麗に忘れられるというものだ。一番のポイントは、他にも考えなければならないことが多いということ。その上、各案件がいろいろ条件づき仮説が成立するのでは、論理的な判断なんか難しく、どこかで「えいやっ」と決めなければならない。判断付かないものは、判断つけないままでいたいんだけど、時間が待ってくれない、というのがなぁ*2

こういうのも、縁がなかったというもんです。

オランダでダイヤモンドを買ったとき、学生のカード限度額だから、大したものは買えないんだけど*3、最後にお店に人が私の手をとってしっかりと商品を渡して、「これがお前にとってベストの商品だ。ベストのチョイスをしたよ」と言ってくれた。とても嬉しかったのを覚えている。

どんな決断であっても、それがベスト。それしかないのさ。

今からも大小様々な決断をすることがくるだろうけど、オランダの宝石商の言葉を忘れないで生きていこうと思います。

追伸)反動で、車はヒョイっと買ってしまいそうな自分が怖い。お金に関しては、常に手綱を握っておいてもらわないと。お金のことはよくわからないんですよ。

*1:AppleiPhoneが俺にとって理想的な商品だったのは、散々迷って購入したあと、多少の不便は覚悟していたけど、全くそれを感じさせなかったこと。

*2:田舎じゃなかったらマンションなんか次々建つんでしょうけど、こちらは数年ぶりにたったとかいうレベルだから、「今後売れるのか?」という辺りも懸念

*3:即決な私はその店でも予算を言って見せられた二つのうちの一つを買った