いつまでもデブと思うなよ

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

この本のタイトルと、著者の雰囲気が気に入らなかったので買いたくなかったのだが、友人Kが明らかに成功したようなので、俺もやってみようと思い立ち、まず買ってきた。

書いてあることは、基本的に妥当だなと。認知療法の一種に入るだろう。
記録をつけることで、自分の気づいていないことをはっきりと数値で確認させ、意識を変えることで日々の行動を変えさせ、さらに他のダイエットもやってみることで効果を促進するというもの。

一番良いポイントは、客観的・科学的に見ようという発想である。なぜ太っているのか、自分がどういう行動を取っているのかを、データから見ようとする。これはよいことだろう。

ただし、この本の1〜2章の内容は気に入らない。現代が如何に外見で評価される時代かという社会批判と、各種ダイエット批判であるが、納得できないポイントが随所に見られる。まぁルサンチマンにつきあってやるか、という感じで読めばいい。

さて、この本に書いてあることを自分に当てはめてやるには、次の三点が問題であろう、と思う。

  1. この本のミソは既に知っている。上に書いたように、基本的には認知を変えなければならない。一番重要な認知上の変化は、『「空腹=満腹ではない」ではない』を知ることである。確かに体重が増加傾向にあった頃は、おなかに食べ物を入れるスペースがあるので、食べましょう、となっていた。それがずっと続いていたので、そういう物だと思っていたが、いつだったか自分の体重増に嫌気がさしたときに、少し食べる量を減らして、この“本質”には到達してしまったのである。これに気づくのが重要なのに、既に気づいている自分に効果があるのだろうか。
  2. 食べ物を捨てるのはやはり駄目だと思う。これはずいぶんと先の話なのだけど、記録をつけて、行動が変わってきて、実際にさぁダイエットしよう(具体的には基礎代謝を目標にカロリー制限しよう)となったときの話。ハンバーガーが食べたくなったら買ってきて、包丁で八等分し、一切れ食べて後は捨てる。なぜなら、それでカロリー的には制限に達したから。もちろん、この段階では認知的変化が起きているので、今の感覚では「足りない」とか「面白くない」と思うかもしれないけど、ソレはなくなっているハズ。でもね、それでもね、食べ物を捨てるのは良くないのですよ。彼のロジックでは、「購入した時点でもうアフリカの子供に送ってあげたりすることはできない。後はそのカロリーを自分の腹に入れるかゴミ箱に入れるかの違いで、どうせ贅沢なのだ」ということになる。これは相対的に合っているけど、絶対的に間違っている。単に、食べ物は捨ててはいけない。これは私の中では、理屈抜きのルールなのである。
  3. 以上のように、私は結構、この本で達するべき世界観を理解している。しかも朝晩は自宅、昼は職場の弁当を食べているので、なぜこの体重になってしまったのか、本当にわからないのである。しかも、スタートが80kgと、まぁ普通の段階である。著者は最初120kgぐらいから始めている。常識的に考えて、偏差値20のヤツが40になるのはそれほど大変ではない。40のヤツが60になるのは大変なのである。私の場合、おそらく記録をつけるだけで痩せることはなく、単に一回一回の食事量を減らすしか解決策がないだろう。もちろん、あらゆるものを記録して行けば、意識していないところが出てくるかもしれないから、やってみるんだけど。

まぁ一年ぐらい、助走してみるかな(笑)
あ、この本の良いところはデータを取ること、しかも継続的にデータを取ることです。記録というのは積み重ねてナンボなので、数週間で効果を考えても仕方がない。少なくとも、夏ぐらいまでは記録を続けて、「なぜ自分がこの体重になってしまったのか」の原因を考えてみたいと思います。ひょっとしたら、新しいダイエット法が発見できるかもしれません(あるいは病因を発見したりして(笑))。

追伸)ビリーはたまにやってます。運動というより、体操の感覚で。肩こったな、ちょっとビリーでもするか、って感じです。あれも「サーキットトレーニング」というミソがわかってしまったので、やる気がなくなったのです。