東京炎上

たくさんの人。人!人!人!人が多すぎる。

交通網が発達している。たくさんの駅。駅!駅!しかもいろんな路線!路線!覚え切れそうにないな。三田を「サンダ」と呼んでしまうのは関西人の名残。もちろん正解は「ミタ」。ことほど左様に、慣れてないことからくる問題ってあるけど、それでもやっぱり、東京に来ると感じてしまうことがあって。

それは「加速度」なのです。

人がたくさんいるから、誰もが「人の迷惑にならないように」と生きているのがわかります。ただ、ちょっと欲を言えば「スマートに生きたい」ですよね*1。駅の改札でモタモタするとか、乗り換えがわからずに路線図とにらめっこするとかは、できればしたくない。恥ずかしいから。スマートにサッと切符を買って、スッと電車に乗って、カッカッと歩いて。そうありたいと思うでしょう。

ただ、これが徐々に「加速」されるのです。スマートでない人は、スマートな人から、何モタモタしてるんだよ、という目で見られます。スマートさにこだわってない人でも、そうみられます。スマートさにこだわる人は、その次元でしかものをみないからです。

田舎ものの集まりである東京は、あるいは都会というものは、このスマートさによる価値判断が多数派をしめているようです。電車の乗り降り、といった生活に関することだけではなく、仕事もスマートに、プライベートもスマートに。とにかく、粋でいなせなアーバンライフを。

そして、今の東京の平均スピードは、人間の生活のリズムとか、発達のスピードとか、社会のやわらかさという点において、本来あるべきレベル以上のものになっています。

深夜0時を回っても、電車が走っています。駅も人でいっぱいです。酔っぱらいばかりじゃありません、仕事帰りの人も結構います。

これ、異常なことですよ?

夜は眠るもんです。静かにするもんです。不便なもんです。
人がたくさんいると、需要が増えるから、どんどん便利になるのはわかりますが、節度を超えています。

いつぞや、マスコミは加速しかしないのか、と考えたことがありますが、おそらくマスコミというものがマス=都会でしか生まれないから、仕方がないことなのかもしれません。生来の癖は一生直らない。

大阪に住んでいた頃は、自分の町がまだ「下町」でした。だんだん開発が進んで、大きなビルやコンビニ、夜まで開いているお店がどんどんできていったけど、自分の成長のスピードにあっていたのでだんだん便利になる都会がうれしかった。

大学生になった頃、コンピュータの発展が著しく(大学一年生後半にWindows95が発売された)、同時に触れた学問の世界とともに、最先端に触れることが気持ちよかった。

結婚して京都に住み、すこし都会のスピードがゆるやかだな、と感じたけれども、これは歴史や伝統がそうさせているのであって、落ち着くことの快さを学んだ。いつかの日記にも書いたように、思考もすこしゆっくりさせねば、と思っていたのでちょうどよかった。

今、山口という本州西端にいますが、ここでのスピードもいいと思います。

速すぎない。
自分の成長、思考にあったスピードで、町も動いているという感じ。
願わくば、娘の成長にあわせたスピードであってほしい。

東京という町のスピードにあう人もいます。あわせようと思って努力する人もいるんでしょうけど。私は違うということが、この年になってよっくわかりました。

自分に合うスピードを持った町。今のところ、自信を持っていえるのは、京都と小倉です。この二つの町は、速いところもゆっくりしたところもあって、ちょうどいい。

山口はすこし緩いかな。大阪はもうちょっと、ついて行けないスピードかもしれません。

大局的にみると、若い頃は田舎で生活し、年をとってから都会に出るのがいいのかも。
ま、身の丈にあった町を見つけるのが一番ですけどね。

そうそう。一つ付け加えておくと、東京のスピードが日本で一番速い、と考えると、それはそれでまぁたいしたことはないな、とも思います。想定の範囲内ではあるし、気合いを入れれば適応できなくはないスピードです。いやだけどね☆

*1:粋、ともいう。