機種変更のミクロ・マクロダイナミクス

妻がiPhoneに機種変更。
所謂ガラケーからスマホに。

まあ機種変更の手続きのややこしさ,スマホの慣れなさみたいなのは分かるんだけど,まさか窓口で「ではこちらにAppleIDとパスワードを書いてください」と言われるとは思わなかった。たしかauでそういうサービス(?)をやって問題になっていたと思うのだけど,ソフトバンクでも(そしてプレミアムショップでも)そういうデリカシーのないことをしてるのか,と。

もちろん,初めての人にとっては難しいことなんだろうけど,それを変わりにやってあげましょう=IDとパスを教えろ,ではないと思うんだよね。大変だけど,それはお客様でやってもらわないと困りますよ,と教育することも愛だろう。
それをサービスが悪い,というのは客側の品格の問題ですよ。
よしんば,そういうニーズとサービスが合致したとしても(鶏と卵でどっちが先ということもなかろうから),それを般化させたらダメだ。教育と学習のチャンスを奪ってるようなもんじゃないか。

驚いたのは乗り換え割,という割引サービスで,これは学生だと二年間有効らしいんだけど,お店の人が「お子様の名前で申請すれば学生割が対応できます」という。定義上,学生=大学生だし,うちの子はまだ児童生徒にもなってない幼稚園児だから,「え,2歳ですよ」といったら,それでもかまわないのだと言う。
まあ1年間の割引サービスが2年になるというのだから,そうしてもらったけど,これもなんだか気持ち悪い。

同様のこととして,最初からついているサービスがいくつかあって,でも数週間〜1ヶ月ぐらいは無料だけどそのあと課金されるというものだから,明日にでも解約してくださいねー,というやつ。アレも気持ち悪い。
当たり前のことだけど,最初からつけないでいてほしいのですよ。

もちろん,これだけユーザ数(加入者数)が増えた,という実績が欲しくてやっていることなんだろうけど,お店側としても,さらにその上のショップ側としても,さらにそういうサービスをつけてもらうことにした会社側としても,こういう事実=店頭で解除してくださいと教示している事実,は知っているんだよねえ。それをふまえて,実績報告だとか,解除し忘れの奴らから小銭を稼ぐというビジネスなんでしょう。

これは結局,商売が人を相手にしているのではなくて,情報を相手にしているからおこることなんだな,とも思う。昔は「何とか安くならんのん?学割がある?ほなうちの子どもがやってることにして,なんとかしてえや」と客の方がお店側に交渉して,お店の人が仕方ないなあとか,こういう裏技を組み合わせれば何とかニーズに応えられるか,となって成立していたと思うのね。そういう商売人との交渉が,ものを買うときの面白さでもあったんだけど,高度にシステム化されてしまうと,お店の方から情報を漏らしちゃうようになっちゃった。漏らす,というか,「あいつにはできてどうして俺にはできないんだ」というクレームにもならないし,なによりどのお客様にも同じサービスを提供する,という建前ができるわけで。そういう意味ではコミュ力不足の買い手が損することもないんだから,良くなっている面はあるんだけど,「最低ラインをあげたことによって,みんなちょっとずつ平等に不幸」という低レベルのパレート最適になっているような気がする。誰にも同じサービスをするって,商売人倫理としてどれほど重要なんだろうな?

そもそも商売上のやりとりは,不平等でいいと思うのだ。気に入ったヤツには安く売る。気に入らないヤツには高く売りつける。いい人だと思えば高くても買ってやる。安いものであれば,品質が悪くても仕方ないと思う。こっちの方が,「みんな平等に安っぽい品で我慢している」よりよっぽど楽しいように思うんだけどな。

まあ合理のラインを個人におくか社会におくかという違いでもある。こういう「わかっててやっている,馬鹿馬鹿しいこと」も,ミクロ・マクロダイナミクスの問題なわけです。社会システムの要請と個人システムの要求の狭間でどう動くか,ということを考える,社会心理学的問題のひとつではないだろうか。