胡散臭さ

mixiのコミュニティに、社会心理学コミュがあって、最近「社会心理学を日常で体験した経験談」というスレが立っていた。

モデリングとか、パーソナルスペースだとか、マイノリティインフルエンスなどの話を書き込んでいる人がいるんだけど、そういう話をみてもどうにも胡散臭い、と感じてしまう。

そんなの一例じゃないの。
たまたまじゃないの。
学問として、そういう「おもしろ出来事」を集めるだけでいいのか。

と思ってしまう。
同時に、

デモンストレーションもできないような学問なんて、何の役に立つの。
わかりやすい例示を出すのも、学問として必要なこと。

だというのもわかっているつもり。

それでもやはり、社会心理学に対する気持ちの悪さ、というのが残ってしまう。

なんでだろう。

自分の中で考えてみたところ、どうやら帰属の理論と認知均衡理論は許せるようだ。
つまり、個人内のロジック、Psycho-Logicのレベルであれば、社会心理学もそれなりの成果を上げたと認められる。
これが、個人間や集団レベルになると、どうしても「よくある話」レベルを超えているようには感じられない。よくある話から始めてよいんだけど、ちゃんとそれを論理的体系にまとめなくては、と思うわけです。

社会の側からまとめる、という面白い試みを後輩Sがしている。アレは面白い。
個人の、特にCとPのインタラクションをちゃんと考えて理論的体系を整え直す、そういう必要がやっぱりあるんだよなぁ。

ぐずぐず言ってないで、いっちょやってみるか。