概念としての学生さんへ

これから書く話は誰か個人のことを論うものでもないし、かと言って今の若者はみんなダメだ見たいな世代論でもないんだと言うことは、最初に言っておきます。それでも老害のマウンティングだと言われたら、そうとられるかもなと思うけど、私はあなたにマウントしたいわけではなくて、話し合って合意できるところに着地したいだけだ、と信じてほしいのです。

そしてもう一つ。私は大学の教授ですが、「だから言うことを聞け」と、職階をかさにきて圧力をかけたいわけではない。決してない。大学の先生は、大学の先生だから偉いわけではないし、専門以外では間違いもたくさんする(何なら専門でもする)。20歳超えたら人間はみんな完成度の勝負であって、そりゃあ出来た人はいるけど、俺は完成度が低めだから、ダメなところはダメだと思ってほっといてください。

私の考える学生とは何か、教員とは何かを明らかにすることで、諸君とコミュニケーションがしたい、と言うのが本意です。双方の考え違いがあるならそれをを正したいのであって、そのためにこちらの主張を先に明文化しておく、というのがこのエントリの意図です。

最近の学生は、教わり方は上手いけど学び方が下手だ、という表現を耳にしたことがあります。最初聞いたとき、上手いこと言うなぁ、と感心したものです。

まさにその通り、と思うことが多くて。例えば学生さんは授業の単位を取ることが目的、とか言います。ほんとに?そんなことのために大学にきたの?もちろん大学が就職予備校になってることはわかってますよ。大卒でないと就職できないから、大卒資格がいるから、単位がいるんですよね。でも大学は、学生さんは、学ぶことが目的なはずなのですよ。少なくとも学生とはそうであるべきなんです。大学で学ぶべきは抽象的思考、論理的思考、批判的思考で、それ身につけると汎用性が高いから、企業に大卒が求められるのだけであって、単位コレクターがほしがられているわけではない(まぁそういう奴の方が飼い慣らしやすい、と思われてるのかもしれないけど、それはそう思う方が浅はかだからそんなところ就職しない方がよろしい)。

大事なのは、単位をきちんと揃えることができる、そのために言うことを聞いて耐えることができる人材になろうとしてはダメなのだということ。本来の学生像はそうではないのですよ。ずれてるんです。「大人たちに褒められる様なバカにはなりたくない」って歌詞聞いたことないかい?

世の中にはルールがあるから、それを守れる人材は最低限のマナーとして必要です。でもそれは大人の要件であって、学生に求められてるのはそれじゃない。端的に言ってしまえば、大学生に求められているのは論理的、抽象的、批判的に考え続けられること、を指しているのだと思います。

教わるのが上手い人は、先生の言うことをよく聞き、よく質問します。また、ルールは守るし、課題もきちんと出します。教員は形式が整っていると、形式的にこれを認めて単位を出します。形式も守れない人は助けようがないですが、でなければ単位なんか出したいんですよ。出させてくれよ、と思ってますよ。そんなもんで人間の力が測れるはずがないとわかってるからね。

でも教わること「だけ」が上手い人は、やれ試験を公平にしろだの、評価を公平にしろだのいうんです。もちろんしますよ。でもそこにこだわるなよ、とは思います。課題は出てますか、どれくらい足りてませんか、とか聞くなよ。ひどいのになったら「あと何回休めますか」だと。知らんよ。自分の成長のために何が足りてないか、って考えてないセリフだよねそれ。ルールを守ることだけが目的になってて、自分の成長のことが二の次になってるんです、それ。

学ぶのが上手い人は、自分のために学ぶので、教わる内容を取り込んで、自分ならどうするか、この技術や知識をどう活かすかを考える人です。この人は自分のなりたい方向性にいるなと思ったら、その人が何を考えてどう振る舞ってるか、観察して、盗もうとするんです。技術や振る舞いを。自分のものにするために。誰かに評価してもらう「単位」という形にするのは二の次で、第一目的は自分の成長にあり、そのために利用するんです、教員を。

別にそのとき、教員を尊敬しろとは言いません。尊敬は結果論です。教員も間違うし、失敗するし、人としてダメなこともあるでしょう。そのときは「その部分は承伏できぬ、真似できぬ」と否定したらいいのです。旨みがあるうちはうまく利用して、毒のところは「利用する価値がある」うちは見て見ぬふりをしたら良いのです。限界を超えたら、リスクが利得を超えたら、合法的にやっつければ良いのです。自分が損しない様に、ね。

もちろん「自分のなりたい方向にない」教師もいると思います。そんな人は無視したら良いんです。役に立たないんだけど、波風立てて自分の成長の妨げになったら困るし。あと、今はその人・領域の良さがわからない=どう考えても役立たずやろ、というときも、将来のために放置しておくのがリスク分散の観点からは大事です。消し去ってから「やっぱり必要だった」となっては困るので。

話を戻します。教わる人は、答えを欲しがります。教えてもらって、認めてもらうことがゴールだからです。教える側から見てると、この人は答えを欲しがってるな、ってのはわかります。でもその答えって何でしょう?教員が設定した課題・問題ですよね。本人のために作られた問題ではない。もちろん教員は、長い目で見たら効き目のあるだろう課題を立てますが、それだっていつ功を奏するかはわかりません。そんな小さなスコープに過剰適応しても仕方ないんです。

学ぶ人は、課題を自分のことと思う人です。課題も何か自分の成長の役に立つはずだ、と旨みを探すのです。旨みがないなら「役に立たない」と判ずるのではなく、「まだ自分にはわからない価値観があるのでは」と考えましょう。これが批判的思考ってもんです。さっきと一緒で、無くしてから困ることを憂うのです。ゲームで不要なアイテムを拾っても、ポケットいっぱいになるまでは持っておくでしょ?

課題はすっかりできましたが、何をやってるかわからない、という人もいます。そんな人は、本来単位を取らずに「落としてください」って言わないとです。単位は形式的には出ちゃうから、困ったもんです。お願いしたら、教員は喜んで単位を出さないでくれると思いますよ。だって大学で一度単位を認められちゃったら、もう一回とれないんですよ、普通。単位を取らない(取れない)というのは、もう一度学び直すチャンスがあるってことなんです。

もちろん、こうした「教員に合わせておく」態度は、裏返るとアカハラの温床になる可能性があるのは事実です。権力構造はどうしてもありますよ。単位を出す側、受ける側は非対称だからね。ですが、そこはバランス感覚です。教員に好かれたり、教員に認められたりすることがゴールじゃないんだし、単位のために自分の、自分の成長を妨げるのは無意味です。万一、教員が自分に危害を及ぼしてくるようになれば、それは悪なので手続きに則って排除したら良い。

最近の学生さんは、真剣に授業を聞いて、「で、答えは何ですか」と聞いてきたりします。もちろん直接聞いてくる人は流石にいませんが、色々形式的な配慮をしつつ、結局はそう言うことをしてくる人が多いです。俺だって今の課題の答えとか、テストの答えとか、すぐにでも教えてあげたい。でも教育とは待つことと思って、グッと堪えてるんです。ケチな先生ですかな?でも俺の答えを君が出せたとして、君の答えは誰が出すのよ?そこのレベルで頑張った姿勢を見せてもダメなのよ。そんなことしても単位が出るだけだよ。

もう一つ怖いのは、ググってそれっぽい答えを探してくる人です。それも君の答えじゃないんだよ。キーワードが合ってたら、ググって当面の答えは出てきます。でもそれは体系的な知識・技術じゃない。当座の問題を先送りするための手先の解決策で、結局遠回りなんです。その遠回りをしないために、教員が専門的なルートとして編み上げた知見があるので、そのルートを来たほうが結果的に近道なんです。散らばる便利なトピックを集めても、積み重なった「道」にするには時間がかかりすぎるんですよ。そのためのカリキュラムなんだし、そのためのインフォーマルで距離の近い空間で繰り広げられる「ゼミ」があるんだぜ。目先の技術じゃなくて、技術を身につけた職人の生き様を利用して欲しいからでしょう。

ちなみにその手の付け焼き刃は、すぐに剥がれ落ちますよ。だって俺がそうだったもの。俺が特別ダメ人間って可能性も高いですが、専門家は「ちゃんとやらないと、結局ダメだな」ってことを知ってる人たちです。若い人たちに同じ轍を踏ませたくないんです。

教員を、結果的に利用できたら、そいつに愛着も湧くことがあるでしょう。わかなくても良いけど、人だから、情が、ね。世界はそれを尊敬と呼ぶんだぜ。先に尊敬しろ、っていってくるのはみんな偽物なんですよ、だから。

悔しいけれど、真似するしかないと思わされてこそ、尊敬の念が湧くと言うものなんだと思います。歪んでるかもしれないけど、私の師匠に対する敬愛の念はこうして形作られてます。師匠とは、好き嫌いの次元を超えたところにいる、面倒な先達のことを指すのです。

最初に断った通り、俺を師匠と呼べ、という話がしたいわけではいですよ。学生(という概念)はそうあるべきだろ、というのが、長年学生をやってきてて、今や立場として教員側に回ったおじさんの、感覚なんです。多少「俺はそうやってきた」という自負が入ってなくはないですが、それが通じない時代だとしたら、どこがどう違いますか。学生の皆さん、学生って何だと思ってやってますか。

こんなご時世だからこそ、大学とは、学生とは、って考えてみませんか。

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